黙とう [生活]
3月11日14時46分 あれから4年
犠牲になった方、まだ見つからない方も。。
丁度、パソコンに向かい合っている時だったわ。
身体が揺れて気分が悪くなって、疲れているせいか?
いやいや、なんか違う
ここからがドラマのような光景が流れ始めたのよね。。
私には 手を合わせる事しかできません。黙とう ( ̄人 ̄)
昨夜(3月10日)、父の手記を見ていた。
「東京大空襲」を体験したことが書かれている所で「今日やん」と気が付く。
多くの犠牲者が出た中、当時 深川に住んで居た父と祖母・叔母・叔父が
生きのびたのは奇跡なのだろうか?
いや、それだけではなく・・
抜粋
「当時として最も火に強く、総じて鉄の窓よく出来ていたので。私共は助かった。」
と書かれている建物「清州寮」にいたから助かったようだ。
江東区にも語り部が後世に伝えるべく事を自らの体験を基にお話ししているようです。
・・・父の手記と合わせて聞いてみたいな。
手記と言っても・・そう言えばワープロでも作っていたよなぁ。。
多分、家の処分の時一緒に処分しちゃったんだろうなぁ。。
父の字は「変体かな」とやらの文字で、なかなか解読できません( ̄▽ ̄);
若い時は、何度も聞く話に「またかいな。。」と思って聞いていたっけ。。
夢の中でもいいから、また話してくれないかな?
今ならちゃんとゆっくり聞いてあげれるんだけど。。
そして、「語り部」と言う勤めがあると教えてあげたい。
少し書き出してみます。
『砂町方面より火をのがれる人・日本橋方面より砂町へ・全く何處に逃げたら良いやら都民はうろうろ。
消防車は歩道に乗り上げ、消防手は右に左に走る。消火線を作る為、戦車で民家を潰す音、空襲のサイレン、避難民の叫び声、サーチライトの光、B29爆音、焼夷弾の飛び散るバラバラと言う音。全く戦争映画を見ているのと同じだ。中略 朝やっと明るくなり街が見えて来た。中略 ・・何も無くなっていた。後は残り火と白煙とがいりまじり、残骸が残るのみ。 』
不思議、戦車が街中走っていた?映画で見たような見なかったような。。
戦火の中、残った建物・・70年経った今も健在なんです。
6年前に父達を助けてくれたアパートを見に行ったのですが外壁工事中で見れなかった。
人参ぶら下げ効果がまだ足踏み状態なので、当分上京は無理っぽいけど
ゆっくり父の住んで居た深川を歩いてみたくなった。
私も年を取ったと言う事かな?
東京大空襲の犠牲者10万人以上 黙とう( ̄人 ̄)
御父様の貴重な手記ですね。<(_ _)>
by cooper (2015-03-13 09:23)
☆cooperさん☆
ありがとうございます。
賛否両論があると思いますが歴史に残っている以上、後世に伝えることも大事なのかな?と感じる昨今です。
by berry (2015-03-13 21:18)